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2012年01月12日 (木)

社会保障と税制(2)

では、社会保障改革の必要性はなぜあるのでしょうか。そもそも、社会保障というのは国民に安心、安定を与えるものです。一定の社会保障を政府が提供することによって、国民は生産、消費といった経済活動に安心して取り組むことができるようになります。また、社会的な弱者の救済、一時的な困難に陥った人々の支援など、民間の経済活動だけではカバーしきれない部分を、社会保障が支えていくのです。社会保障を考える時に、私は効率性と公平性が重要だと考えています。

 

社会保障は国家から特定の人々への援助ですから、援助を受ける側(受益者)からすれば多ければ多いほど嬉しいものです。生活保護にせよ、年金にせよ、医療保険にせよ、あるいは公営保育にせよ、減らしましょうという話には容易にはならないものです。しかしこれらは全て国民の負担によって賄われています。先述しましたように、税金の多くの部分は実は社会保障のために使われているのです。ですから、効率性が極めて重要になります。また、殆どの社会保障は受益者が必ずしも国民全体ではありませんから公平性も重要になります。生活保護、高額医療保障、公営保育などは受益する人としない人がはっきりと分かれます。また国民の殆どが受け取る年金では、高齢にならない限り受け取らない訳ですから、ある時点で考えてみるともらっている人ともらっていない人がいるわけです。従って、公平性を忘れて社会保障を議論する事は出来ません。

 

今の社会保障制度は、明らかに制度疲労を起こしています。これは日本に限らず世界中で起こっていることですが、この30~50年で多くの大きな変化が起こってきました。平均寿命が延び、ライフスタイルが多様化し、仕事のやり方が変わり、家族構成も変わってきています。例えば年金を考えると、平均寿命が大きく伸びてきていることを考えなければなりません。私が生まれた昭和39年には、男性の平均寿命は67.7歳でした。また、65歳の男性の平均余命は12.2年です。平成20年には平均寿命が79.3歳、65歳の男性の平均余命も18.6年に延びています。平均寿命の伸びは女性でさらに大きく、昭和39年の72.9歳から平成20年には86.1歳になっています。国民が長生きになるのは素晴らしいことですが、当然のことながら制度もそれに合わせて変えていかなければならないのです。

 

65歳時の平均余命が12.2年であれば、65歳から年金を支給すれば平均して12.2年支給を続けることになりますが、平均余命が18.6年なら支給期間がざっと1.5倍になるわけです。支給の財政負担の大きさからだけ考えても寿命の延長に併せて支給開始年齢を上げていくことが必要になります。また、就業形態の多様化によってより高齢での就業も可能になりますし、終身雇用制が徐々に崩れて来れば50代で新たな職に移ったり起業したりする人も増え、65歳で仕事を終えるということが逆に不自然になってくるとも考えられます。高齢者が就労を続けることが若者の就労機会を減少させるという議論を聞くことがありますが、これはやり方次第です。確かに高齢者と若者が同じ仕事を取り合っているならば高齢者の就労増加が若者の失業を生むかも知れませんが、お互いが相手を必要とするような形であれば効果は逆になります。現にそうした人材活用を進めている企業もあります。経済学で言うところの代替か補完かの問題です。

 

高額医療に対する保障などを考えると、国民が本当に求めている社会保障とは何なのかという疑問にぶち当たります。国民は社会保障の受益者でもありますが費用負担者でもあります。大きな負担をしながら大きな保障を受けたいか、小さな負担をしながら最低限の保障を受けたいか、一人一人の考え方はばらばらだと思います。これまでは費用負担と受益を切り離してばかり議論をしてきました。例えば政府は今も社会保障の機能強化を進めています。社会保障の機能が強化されると言われれば、受益者とすれば嬉しい話です。しかし、それがどれだけの費用のかかるものであり、国民一人一人の税金をどれだけ増やすことになるのか、費用負担者側からの議論も同時にしなければならないはずです。片側からだけの議論は、言葉は悪いですが一種の詐欺のようなものです。

 

少子化対策も社会保障関連で扱われていますが、どうも短絡的な考え方が多く疑問を感じています。少子化対策は二つに分けて考えなければならないと思います。本当の少子化対策は、子供を持ちたい夫婦が持ちやすくなるような社会を作ることだと思います。働きながら子供を産み、育てていける環境を作ることには、保育園の増設だけではなく、雇用形態の多様化や男性の育児参加を促す方策など、様々なものがあるはずです。それらを全て検討しながら、効率よく環境整備をしていく必要があります。この少子化対策は、「本当の少子化対策」と表現しましたが、そのような社会を実現していこうとすれば結果として子供も増えるだろうという意味であって、少子化対策を目的とするということではないと思います。仮にいま我が国において子供の数が増えていたとしても、女性も含めた国民全てが自己実現できる社会をサポートする意味で行われるべき施策だと考えています。

 

一方で、少子化対策と人口構成変化を結びつける議論を耳にしますが、違和感を感じざるを得ません。少子高齢化が進み、年金財政が苦しくなる、だから子供の数を増やしていかなければならないというのは、高齢者を支えるために子供を産めと言っているようで、不愉快に感じる時もあります。これについては全く別の考え方をするべきではないでしょうか。例えば、少子化を止めるのではなく少子化が進んでいくことを前提として、それでも世代間格差が発生しないように、年金を受給している世代の受給額を労働人口に連動させることも可能でしょう。あるいは海外からの労働力をもっと受け入れる方策を講ずるべきなのかも知れません。いずれにせよ、高齢者への年金受給を果たすために子供を増やせと言うのは、正しい議論だとは思いません。

 

色々と書いてきましたが、社会保障改革が今必要な理由は、様々な前提条件が変わってきているからという一語に纏める事ができると思います。その上で、国民が求める受益と費用負担のバランスを考えていかなければなりません。厚生労働省は受益を増やすことしか考えていません。財務省は費用負担を国民に求めることしか考えていません。国民は本当に負担が増えてでも給付が大きくなることを望んでいるのでしょうか。今後更に高齢化が進んでいく中で、いま給付を増やしてしまうと、現役世代の将来の負担はその分が2倍、3倍になって跳ね返ってきます。逆にいま減らすことができれば、将来の負担はその2倍、3倍が軽減されることになるのです。政治家の私達も皆さんにこの問題を問いかけていかなければなりませんが、研究者の方々、そしてメディアの世論喚起にも期待したいと思います。

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